
おはようございます。やっと自宅にカップボードが入りました。やっと開けた食器の段ボール。
吟味して、持ってきたはずなのに、いくつも、古く感じました。迷わず破棄。場所で見え方、感じ方、価値観が変わるものなのですね。平和な平凡に変化のスパイスはこういうものなのか。と感じました。
さて、今日のタイトルの点の多さ。異常でしょ(^o^)
竹で作る茶筅→樹脂の茶筅→紙の茶筅
<あー、世も末>と思うもよし、<時代に合っている!>と思うもよし、、<混ざればいい>と思うもよし。
茶道は見立ての遊びの文化でも有ります。
国産茶筅の品薄の中、風情は無いけど、良いんじゃない♬と思う気持ちは、ん~・・・いまの私はないかな・ω・
この調子でひっ迫している柄杓(ひしゃく)も代替えのアイディアが欲しいのら(^o^)
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松T (金曜日, 07 2月 2025 21:27)
ご無沙汰です。
本店新規開店おめでとう御座います。
今日のブログには[おったまげ・・・・・・・・]です。
1っこ\300~\400の茶筅。何回使えるのかしら?
なんてセコイ考えしか出てきません。
これで初めてちゃどう(茶道=裏),さどう(茶道=表)を
習う・・・・あり得ん!(感性が追いつきません)
茶筅直しでお手入れしながら使うのが・・・道(どう)だよね?
私は爺さまになってしまったのだろうか・・・・
京都のお店(甘春堂)に[食べられるお茶碗]があるのは
知っていましたが・・・美味しいよ(笑)
中田屋J (土曜日, 08 2月 2025 11:01)
松Tさま
情報たっぷりのコメントをありがとうございます。
<茶筅直しでお手入れしながら使うのが・・・道(どう)だよね?>
確かに、長く使うものが道具です。
そう考えると、紙の茶筅は<ストロー>みたいな感覚の部類になるのでしょうか。
京都の<食べられるお茶碗>
そう言えば有ったと思い出しました。
今ならサッサと「どれどれ~」と食べますが、若かった私は
「食べられるお茶碗」にビックリ(*_*)
もったいなくて暫くお店に飾っていました。
頂いた方に「何たべなの!」と言われて恐る恐る食べたら埃っぽかった(´・ω・`)